手羽先が先か鶏ももが先か

Life is beautiful より。

その意味では、全体ではVistaよりもはるかに良くできているOS-Xのおもてなしに文句をつけるとすれば、右ボタンの欠如とアプリのメインメニューが固定な点。特に後者は、マルチモニターや大画面で複数のアプリを同時に動かす時代には明らかに不便なのにそこだけは絶対に譲らないのは「たとえ一点でもMicrosoftの方が正しかったこと」を認めたくないAppleの意地なのか。

Life is beautiful: OS-Xのメニューの位置が固定なのは「たとえ一点でもMicrosoftの方が正しかったこと」を認めたくないAppleの意地か?

うーん、個人的にはウインドウベースの Windows とアプリケーションベースの Mac OS X でメインメニューの位置が違うことは必然だと思うんですが、そこんとこどうなんでしょうか。


ヒューマンインターフェイスの本でまれに "Noun then Verb" という言葉が出てきます。
人は "Noun"(名詞)、つまり作業対象をまず見いだした後に、"Verb"(動詞)、つまりそれに対する作業を探す、という認知工学の考え方です。


この視点から、Mac OS X は常にアプリケーションプロセスがひとつしか立ち上がりません*1
アプリケーションという "Verb" を固定することで、ファイルという "Noun" 発見時にどの道具を使うべきか迷わせない、という観点なのでしょう。Finder や System、そしてデスクトップという概念からファイルを単一作業対象と見なした Mac OS 独自のヒューマンインターフェイス哲学がそこにあるように感じ取れ、それを Mac OS X は継承しているからではないでしょうか。


それに対して、Windows はウインドウベースであり、SDI か MDI かの設計によってアプリケーションプロセスの数やその作業にかかるウインドウ配置はまちまちになります。
これは、Windows の根本には X Window *2と同じく視覚的なウインドウひとつを単体の "Noun" とみなす、という考えがあるからじゃないかと私は考えています。このため、アプリケーション開発者にウインドウの見せ方を任せ、その中で "Verb" を適切に実行してもらうための枠組み、SDI や MDI などという考え方が生まれたのではないでしょうか。


なので、アプリケーションベースの Mac OS X がメインメニューを画面全体でひとつしか持たず、ウインドウベースの Windows がウインドウひとつひとつにメインメニューを持たせることが出来るのは単なる哲学の違いに過ぎないんじゃないでしょうか。
どちらが良いかは何ともいえません。世間の評価をみる限りでは両者とも一長一短なんじゃないかと。


……まぁ、昔はマルチモニタなんて無かったからだよ、なんて無粋なツッコミは勘弁してください。ええ。

*1:無論例外はありますが。

*2:ひょっとしたら Alto も? Alto についてはあまり知らないのでここらへんは割愛。